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2013年9月22日 (日)

弘前城

弘前城に行ってきました。大きいお城は熊本城以来なので随分久しぶりです。
大きいだけでなく現存12天守の一つを擁するお城でもあり8棟の櫓が現存しております。それと縄張りがかなり残っており堀も一部埋められてますが殆ど残っているんですよ。貴重なお城ですよね!

~弘前城概略~
弘前城は鷹丘城、鷹岡城、高岡城とも呼ばれます。
1594年に堀越城に軍事的不満を感じた大浦(津軽)為信は現在の弘前城の地に移転を決定し、1600年の関が原の戦いでは東軍につき勝利。4万7千石の弘前藩が成立します。
津軽為信は1604年に京都で客死し築城は中断しますが、子の信牧が1609年に築城を再開、大浦城(堀越城の前の城)、堀越城から色々移築し突貫で1611年に弘前城は完成しました。

Dsc_0096_2恒例の案内板を写した縄張り図です。西方の蓮池・西濠を背に本丸を二の丸を、更に三の丸四の丸が囲む悌郭式平山城ですね。本丸は石垣が使われておりますが他は土塁で造られております。面積は四九万二千平方メートルもあります。一日中歩き回ってましたが疲れました(;´∀`)

現在では本丸と北の郭だけ有料区画で他は公園で憩い場になっております。春は桜の名所で有名ですね。

三の丸

■三の丸追手門(重要文化財) Dsc_0085

Dsc_0090 三の丸南側に建つ現存の三の丸追手門です。枡形に楼門式の櫓門が配置されております。楼門とは単独で建つ門櫓で今回初めて見ることが出来ました!。よく見るのは石垣と石垣を上を渡すは渡櫓形式ですね。楼門式は土塁と土塁の間に建てられ土塁と櫓の間を土塀等で塞ぎます。枡形に一の門が無く簡素なく素木造りで古形式だと案内板にありました。

■東門(重要文化財) Dsc_0370 三の丸東側に建つ東門です。現存で楼門式です。見た感じ追手門と同じ形ですね。
二層目に鉄砲・矢狭間がありますが、あの位置だと射角が限られそうだなぁと思ったり。

Dsc_0237 三の丸にある土塁の枡形。正保元年(1644年)の城絵図を見るとこの枡形にも櫓門があったようです。

追手門(三の丸)→南内門(二の丸)
東門(三の丸)→東内門(二の丸)
北門(四の丸)→上の写真の枡形に存在した櫓門(三の丸)

この様に縄張りを見るとそれぞれの南東北方向から外と内で枡形・櫓門が対になって二重に守る縄張りのようですね。西側は広い濠や川や田があり攻めずらい感じでしょうか

四の丸

■北門(亀甲門) (重要文化財)Dsc_0249

Dsc_0247

搦手を守る北門です。案内板に現存五棟の櫓門の内で一番規模が大きく形状も異なる最古の形式だそうです。ざっと見て鉄砲狭間がありませんね。

北門は元々大光寺城にあり慶長一六年二代藩主津軽信牧が追手門に使うために移築したそうです。昭和三十三年の修復工事で柱などから矢傷跡が発見されたそうで実戦の経験が無い弘前城で唯一の実戦を経た建造物だそうです。

Dsc_0260 北門外の水堀。水堀がある風景は好きなんですよ。

Dsc_0267 津軽為信の像です。北門を出てすぐの所にありますよ。

二の丸

■南内門(重要文化財) Dsc_0117 三の丸から二の丸に入る枡形に建つ南内門です。現在弘前城に残る櫓門は全て楼門形式で似た外観をしております。追手門側から進入し二の丸に向かうとこの門に遮られます。

■辰巳櫓(重要文化財) Dsc_0104

Dsc_0144 二の丸東南にある隅櫓の辰巳櫓です。上の写真は三の丸からで微かに見えます。
一層と二層が逓減が無く屋根は銅板葺きの質素な三層の櫓が中濠の土塁上に建っております。

■未申櫓(重要文化財) Dsc_0140

Dsc_0131 二の丸の南西にある隅櫓の未申櫓(ひつじさるやぐら)です。こちらも1層2層に逓減がないく銅板葺きの屋根を乗せてますね。南側は南内門、辰巳櫓、未申櫓で防ぐ感じですね。

Dsc_0156 馬出し回りの水堀り。土の城は景色が固くないのが良いですね。

■東内門(重要文化財) Dsc_0386

Dsc_0395 二の丸の東側を守る枡形にあるのが東内門です。規模の大きい櫓門が5棟も残ってるなんて驚きですね!

■与力番所 Dsc_0310 弘前城に12箇所あった与力番所で唯一残る東内門の番所です。江戸時中期の建築だとか。一度移築されたけど再び戻されたそうです。

■丑寅櫓(重要文化財) Dsc_0400

Dsc_0406

二の丸東北に建つ丑寅櫓です。辰巳櫓や未申櫓と同じ造りですね。材料を纏めて発注してコストを下げたのでしょうかね。

本丸

■天守 Dsc_0164_2 現存十二天守の一つである弘前城天守です!。本丸は石垣が使われているので石垣上に建ってます。五重の天守があったのですが寛永4年(1627年)に落雷による消失。文化七年(1810年)にこの位置にあった本丸辰巳櫓を改修というかおそらく新築で建てたのがこの天守です。でも表向きは幕府に遠慮して御三階櫓です。明治くらいまでこの写真の天守から右側奥まで多聞櫓があったそうで複合式天守でしたが破却され現在は独立式天守です。

Dsc_0167

Dsc_0189 一重目は石落しに二重目は張出しの出窓に切妻破風が東側と南側に有り、割と姿の良い天守ですね。現存の三重天守の中では最も低い14.4mだそうです。丸亀城の御三階が15mですから惜しかったですね。瓦は寒さや雪に強い銅瓦だそうです。書き忘れてたけど現存する弘前城の櫓も全て銅瓦ですよ。

Dsc_0197 西と北側は物凄くシンプル!。二方正面だそうですよ。

Dsc_0211 天守の中にあった往時の本丸の模型です。本丸御殿がありました。手前右側の隅に五層の天守が雷で焼けるまであったそうです。

■本丸未申櫓跡Dsc_0215 元五層の天守はここにありました。焼けてからは本丸未申櫓が石垣も組みかえられ建っていたそうですが現在は跡です。

Dsc_0220 本丸未申櫓から見た風景。津軽富士と呼ばれる岩木山と下に蓮池が見えます。雲ってたのが少し残念・・。

■本丸戌亥櫓跡Dsc_0221 本丸戌亥櫓跡です。本丸は天守しか残っていません。

Dsc_0223

Dsc_0224 本丸の北を下ると北の郭です。本丸が高い岡上にある事がよく分かります。

西の郭辺り

Dsc_0354

Dsc_0358 弘前城の西方は蓮池や西濠等広い水掘りで守られております。上は現在は桜のトンネルと呼ばれてます。春に来ると綺麗でしょうね。下は蓮池です。

天気がイマイチな時間がありましたが晴れた下で天守が撮影出来て嬉しいです。
本丸以外は土塁で出来たお城です。遺構がよく残っているので土塁を堪能できますよ!。

本丸をブラブラしていたら整備をしているおばちゃんにカフェ・オレを貰いました。
当日は暑かったし嬉しかったです。おばちゃんありがとう!

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コメント

すごく広くて見どころ満載だね(o^-^o)
階段や坂も多そうcoldsweats02
それでも豊かな緑の中に見えるお城は
美しくて疲れも忘れそうだね(笑

説明も丁寧で詳しくて
なんか燃え尽きたのわかりましたsmile

のんちゃさんコメントありがとう!

そうそう見所が多いお城なんですよ
現在は緑の中にあるお城って感じですね。
久々のブログのボリュームと江戸時代の
城絵図と睨めっこや情報集めで書いてて
面白かったけど燃え尽きました(^-^;

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