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2015年4月18日 (土)

丸岡城と桜

丸岡城に行ってきました。丸岡城は福井県坂井市にあるお城で現在は桜の名所でもありますから桜の季節に合わせて頑張って行ってきました。現存12天守の一つを擁するお城でもあります。桜と古い天守は良かったですよ。

丸岡城の概略
・天正3年(1575)に織田信長が一向宗が篭る現在の丸岡市街の東方にある豊原寺を平定し、その配下の柴田勝家の甥、柴田勝豊が4万石を与えられ豊原に山城を築いた。
・天正4年(1576)に現在の丸岡城の地に移ったことから始まり本能寺の変後に柴田氏が滅亡するまで柴田氏の支城であった。
・柴田氏滅亡後は丹羽氏が越前に入り家臣である青山氏が丸岡城の城代になる。
・丹羽長秀死後は豊臣秀吉の家臣になった青山氏がそのまま城主になる。
・慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で青山氏は西軍につき改易。越前には結城秀康が入封。家臣の今村盛次が丸岡城に入る。
・慶長17年(1612)越前騒動で今村盛次が失脚し附家老として本多成重が丸岡城に入る。
・寛永元年(1624)結城秀康の子、松平忠直が配流になり福井藩の減封処分で本多成重は独立し丸岡藩が成立した。
・元禄8年(1695)丸岡藩のお家騒動で本多家は改易になり有馬氏が丸岡に入城し明治維新で廃城になるまで続く。

正保4年(1647)城絵図 Maruokajou_1647_

天保7年(1836)の絵図 Maruokajou_1836 正保四年と天保七年の絵図があったので撮影しました。町割が微妙に変わったり、西丸と本丸を分ける堀が水濠から空堀に変わったりしている所が面白い。

Dsc_0462 歴史資料館にあった模型です。丸岡城は本丸がある独立する小高い丘を中心に築かれた平山城で五角形の広い内掘で囲まれているのが印象的ですね。現在の内堀は埋められているのが残念。内掘りを更に外堀で囲み三の丸を形成し輪郭式の縄張りです。

JR福井駅から本丸岡行きの京福バスで来ました。本丸岡バスターミナルに到着後にそのままバスの中で待っていると再びバスは再び動くので、丸岡城脇のバス停(天保7年の絵図の西三の丸の赤い印がバス停)で下りました。 Dsc_0415 丸岡城は別名霞ヶ城とも言います。桜は散りはじめでしたがまだ充分咲いてました。
そして猫も出迎えてくれました(霞ヶ城の石碑の右にいますよ)。
この入口は城の南西辺りで往時は虎口でもありません。内掘の一部と内掘の内側が霞ヶ城公園になっております。

Dsc_0417 城に住んでる猫ですかね。中々ふくよかな猫です。

Dsc_0419 階段を登り西側の遊歩道を進みます。ここの桜は満開ですね。

Dsc_0422

Dsc_0532 縄張りの絵を見ながら進みましたがこの遊歩道は往時の頃と一致してないですね。二枚目の写真には本丸から1段下の腰曲輪らしき物が見えます。遊歩道は本丸から2段下の腰曲輪を元に新しく作られたのかな。
しかしこの石垣も昔からの物なのかな。廃城令後の取り壊しと福井地震での倒壊と公園化で天守以外の現存する遺構は少ないようです。

Dsc_0434 埋門があったであろう場所でチケットを買って本丸に入ると天守がありました。

Dsc_0441 現存12天守の一つで二重三階独立式望楼型天守です。中々古風な天守ですね。
高さは役12.5m、石垣が6m程度だそうで小振りな割には石垣が高く立派に見えます。
2重目の高欄、廻縁は装飾で使う事は出来ません。1重目目には石落しを兼ねた出格子窓が見所。下見板も素朴ですね。石垣と天守の間の腰屋根も見所です。
昭和23(1948)の福井地震で倒壊しましたが20%の新しい材を使い修復されました。
ボランティアの案内の人が言ってましたが地震のときは天守が一瞬浮き上がったとか。
よくぞここまで復元しましたね。

Dsc_0446 有名な鬼作左(おにさくざ)こと本多作左衛門重次が長篠の合戦の陣中から妻に宛てた日本一短い手紙と言われている一筆啓上の碑です。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

三河武士らしい剛直さと気遣う優しさが出てますね。因みにお仙は丸岡藩初代藩主の本多成重です。

Dsc_0485

Dsc_0554 鬼瓦が睨みをきかせております。東向が阿吽の阿(写真上)で西向きが吽です。
ボランティアガイドのおじさんに是非撮影してほしいと言われたので両方撮りました(゚ー゚;

丸岡城天守の瓦は石瓦です。寒さや雪に強い瓦です。弘前城は同じ理由で銅瓦を使用してましたね。1枚20kg~60kgを約6000枚近く使い全体では120tにもなるとか。瓦はすべて笏谷石を使っているそうです。

Dsc_0483

Dsc_0451 1.66mある大き目の鯱です。現在上がってるのは木造に胴張りですが福井地震で落下した昔上がってたのは笏谷石を使用した鯱で展示されております(写真下)

Dsc_0486 桜と古天守の取り合わせは最高です。欲を言えば空がもっと晴れていたら良かったな。午前の早いうちは青空も見えたけどあっという間に薄曇になってしまいました。連日雨だったので一瞬でも晴れただけマシでしたが。

Dsc_0537 天守の周りを一周してみる。野面積みの高石垣が素晴らしい。

Dsc_0538 出格子窓下の石垣が新しい。地震で崩れたのを新しく積み直したのだろうか。

Dsc_0540 まだ完全な方形に組めなかった頃の石垣の様です。天守は江戸時代初めに建てられた節もありますが石垣の天守台は古いのでしょうね。

Dsc_0542

Dsc_0544

Dsc_0545 無理して桜の季節に来て良かったな。桜の名所100選にも選ばれてます。

Dsc_0449

Dsc_0481天守へ登る階段です。写真二枚目の階段右側に石垣が2段になっていますね。石垣上に附櫓が存在して附櫓から天守に出入りしていた時期があったんじゃないかとの話があります。

Dsc_0456 確かにこの天守の出入り口は非常に素っ気無くやっつけ感があります。
天守内部右側に見えるのが階段です。非常に急なので補助の紐がありました。
現存や復元の城を多数登ってきましたがトップクラスの急勾配です。下るときは多少恐怖感を感じました。

Dsc_0460

Dsc_0461 天守一重目内部です。出格子窓は内側に戸がありました。内部は戸で防ぎますが出格子窓自体は雨に濡れる事を想定してるんですね。

Dsc_0479 二重目です。標高17mに建つので中々見晴らしは良いです。

Dsc_0500 本丸南西側から南側を通り南東側まで通る本丸下の帯曲輪の石垣はよく残っていました。

Dsc_0501

Dsc_0502 少し上部が凹んで崩れそうですが残ってます。上の写真の左上に見えるのは天守の石垣です。

Dsc_0507

Dsc_0508

Dsc_0510

Dsc_0511 本丸沿いにぐるっと回っていきます。ここら辺の石垣は奇麗に残ってますね。遺構が少なく石垣も少ないのが少し残念だと思っていたので帯曲輪は嬉しかったな。

Dsc_0522 東側の一筆啓上茶屋近くから撮った写真です。ここは庭園になってました。花見の人で賑わってました。

Dsc_0573 西側から撮った写真です。看板には絶景ポイントとありましたが桜の季節は確かに絶景でした!。晴れてれば更に奇麗だろうな・・。雲が晴れないか喫茶店で粘って待ったけど駄目でした。
絶景ポイントで写真を撮ってるとお孫さんを連れたお婆ちゃんが桜を見に来ていて色々と話をしてくれました。お婆ちゃんはお城のすぐ脇に住んでいる地元の方でこんなに桜が咲いたのは初めてだと言ってました。なんでも最近までは病院等が建っていたので日当たりが悪かったのか桜もあまり咲かなかったのかもしれないとの話。現在は病院等は取り壊され公園にする為の工事中です。日当たりが良くなったおかげでこの奇麗な景色と桜が満開に咲いた様です。お婆ちゃん色々話しを聞かせてくれてありがとう御座いました。

丸岡城の観光は北東方面から入城する事が普通みたいですが(観光バスが止まります)西南方向から見るのも中々良いですよ。特に桜の季節はお勧めです!!。

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