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2015年12月

2015年12月20日 (日)

松本城と奈良井宿

ブログのネタは貯まっているけど

時間が無く中々更新できないまほろばです。こんにちは|゚з゚)

宇和島城、大洲城、姫路城と撮り貯めてあります。
書かないとと思いつつも松本城を見たくなりブラっと行ってしまいました。
といっても11月21日ですんでもう1ヶ月も経つのか。

秋も終わりすっかり冬ですな。っていうか既に年末ですね。何を今更┐(´д`)┌ヤレヤレ

Dsc_2074_00001このブログで三度目の登城の松本城天守です。
松本城は地元からスーパーあずさに乗って2時間半弱で御座います。近いような遠いような・・いや十分遠いかな。それでも一番近い現存天守です。

Dsc_2084 姫路城天守を見たら妙に松本城を見たくなったんですよ。
あと新カメラで松本城を撮りたいと思ったというのもあります。

Dsc_2090_00004姫路城天守は華やかで良かったな。でも松本城の無骨さもやっぱり良いっすね。

Dsc_2116_00005 そういえば松本市と姫路市って姉妹都市を結んでた気が。お城繋がりですかね。

Dsc_2141_00006 看板があって松江城の国宝登録の事も書いてありました。松本城の辰巳櫓と月見櫓を造ったその後に松江に転封になった松平直正は両城に関係があります。

Dsc_2163_00007 紅葉が残っていたけど松本は寒かったです。

今回の長野行きは奈良井宿に行く事も目的でした。

奈良井宿は中山道の宿場で現在は長野県の塩尻市にあります。
江戸時代に奈良井千軒と言われるほど栄えた宿場町です。
現在も古い町並みが保存されております。観光地として有名ですね。

Dsc_2195_00010 松本→奈良井は中央本線で50分弱程度です。が乗った時間の電車が悪かったのか1時間10分以上掛かりました。塩尻駅で30分近く止まるという・・12時18分松本発の電車ですがね。よく調べてから乗ったほうが良いですよ。

Dsc_2221_00014_2 奈良井に着いたら13時半で腹がペコちゃんでした。
焦るんじゃない俺はお腹が減っているだけなんだと急いで駅から近い蕎麦屋で蕎麦を食べたけど中々美味しかったです。流石、信州蕎麦所。

Dsc_2207_00012「うだつ」も上がってるし裕福だったんでしょう。同じ長野県の古い宿場町である海野宿とはまた趣が違います。

Dsc_2214_00013午後から雲が多くなり陽も少なく寒かったです。厚い上着が必要でした。
地元に帰ったらそこまで寒くなく標高の差を感じましたね。

Dsc_2243_00017 やっぱりこのタイムスリップ感が良いですね。地元も元宿場町ですが殆ど残ってないので羨ましい限り。

Dsc_2232_00015 でも古い町並みを残すのってもの凄く大変だそうですね。特に住んでる人が大変だと海野宿に行く時に乗ったタクシーのおじさんが言ってました。

Dsc_2187_00008 でもやっぱり末永く残して欲しいものですね。

Dsc_2242_00016 これは何かのおまじないでしょうかね。五平餅を食べたり喫茶店に入ったりブラブラ楽しいものですな。

Dsc_2251_00018 木曽の大橋
木造では有数の大きさの太鼓橋だとか。

ご拝読ありがとうございました。

2015年12月 5日 (土)

伊予松山城

伊予松山城に行ってきました。

2009年2月以来の登城で6年ぶりになりますな。
お城巡りを始めて初期のお城だから凄く印象に残ってるお城です。
白河小峰城と並んでお城巡りを始めるきっかけになったお城かもしれない。

伊予松山城城絵図何時もの通りに縄張りから。
今回も城絵図の看板があったので撮りました。文久年間作(1861~1684年)だから幕末に書かれた物ですね。

伊予松山城は勝山を一帯に築かれたお城です。山頂に本丸を築き南西の麓に二の丸、平地に濠で囲んだ三の丸を梯郭式に築いた平山城です。勝山の標高は132mもあり中々の高所。三大平山城の一つだそうです(他は津山城、姫路城)。
この高さになると山城に近い感じもしてきます。本丸は戦時に篭るだけって感じです。

特筆する所は登り石垣です。山頂の本丸と麓の二の丸の間を遮断する様に北と南の2線繋いでます。山の中腹を進まれて二の丸の背後からの襲撃を防ぐ事が目的でしょうか。

この城絵図で気づいたけど城の東南方面は塁か堀・濠で囲ってたんでしょうかね。
南東方面の登り口によっては無防備な所もあって疑問に思ってたけど囲ってるから大丈夫って感じだったのかな。

伊予松山城城絵図 鳥瞰図です。こっちの方が分かりやすいので載せておきます。
6年前に撮った看板で今回は見当たらなかったな。天保十三年に書かれた絵図を元にした絵図だから上の文久年間より少し前になります。

伊予松山城 本丸図 本丸の抜粋。赤文字が復元および現存の建物で青文字は跡。本壇は混みいってるのでここでは省略してます。復元も多いがなかなか雰囲気が良いですよ。
虎口は大手門、揚木戸門、艮門(うしとらもん)、乾門の四つ。中ノ門は虎口というか罠。

■伊予松山城の歴史の概略
・14世紀に伊予の国の守護の河野氏により湯築城(道後温泉近く)が築かれるが天正十三年(1585)に小早川隆景により開城。小早川氏に与えられるが転封、福嶋正則の支配地になるが国府山城に城を構える。

・関ヶ原の合戦後の慶長七年(1602)加藤嘉明が20万石で伊代を受領。現在の松山城の築城を開始し松山と地名を改める。

・寛永四年(1627)加藤氏は会津に転封になり会津の蒲生氏が松山城に入城。

・寛永十一年(1634)蒲生氏断絶により隣の大洲藩が城番になる。

・寛永十二年(1635)松平定行が松山を受領し松山城主へ。

・天明四年(1784)落雷による火災で天守を含む建物が焼失。

・安政元年(1854)再建。

伊予松山城ロープウェイ さてさて6年ぶりの登城です。三の丸を通って二の丸から登ったほうが気分は出るのだろうけど主に体力的温存的な理由(城巡りが続く予定だった)でリフトで登ります。
伊代松山城はロープウェイまで完備してるので年配者やお子様にも優しい平山城です。
しかしシルバーウィーク故にすし詰めである。

伊予松山城リフト三脚にカメラと荷物も多いうえに久しぶりのリフトで結構緊張しました(汗
リフトからも天守を拝めます。前回もリフトだったけど梅が咲いていて綺麗でした。
いつか全部の登り口から足で登ってみたいなんて思っていたり。
でも四国は遠いせいか一つの城に時間を掛けづらいのが現実。

Dsc_0598_00005 リフトを降りて階段を登るととすぐに本丸に着きます。なんて便利なんでしょう!
伊予松山城は確かミシュランで☆2つに認定されたんだったかな。この便利さもあるんだろうか。

巽櫓 階段を登り終えると目の前に高石垣がそびえ立ちます。右手に見えるのは巽櫓。伊予松山城の櫓は柿渋の下見板を塗った茶色の意匠で大体統一されております。中々見た目が渋い。

Dsc_0604_00009

Dsc_0612_00012打ち込み接の高石垣。伊予松山城は二の丸、本丸と高石垣が多いんですよ。
ここの石垣の高さは15mはありそうですね。2度目ですが圧倒されます。

Dsc_0603_00008 石垣上に見えるのは隠門続櫓で現存の重要文化財です。後に通ります。

Dsc_0621_00015 揚木戸門跡です。本丸南東からの虎口を守る門。本丸の小口は北に2箇所、南に二箇所で四箇所あります。

Dsc_0624_00016

Dsc_0635_00018 大手門跡。二の丸と繋がる道があります。絵図を見ると高麗門が建ってたのだろうか。

Dsc_0634_00017 大手門近くからの眺め。中央近くの櫓は太鼓櫓です。隙間に見えるのが天守。
中々良い眺め。

Dsc_0639_00020 中ノ門跡。正面に天守が見えるがこの門を突破しても本丸石垣下に出るだけで天守には辿り着けない。上の城絵図を見れば解るけど門の先に道も無いですね。罠の門だと言われてます。

Dsc_0638_00019 太鼓櫓を見上げる。上の方の石垣は新しめな感じ。

Dsc_0913_00124この折り返し太道が正解ルートて戸無門にむかいます。

Dsc_0646_00021

Dsc_0653_00023 戸無門。高麗門の形跡だけど戸が無い不思議な門。これも何かの引っ掛けか・・っ!?
戸を取り付けた形跡もなく昔から戸が無かったそうです。今は失われた縁起担ぎか風習でもあったのかもしれない。勿論、現存の重要文化財です。
青いビニールが掛かってるけど瓦が壊れたのかな。

Dsc_0684_00036 筒井門と筒井門西続櫓。伊予松山城最大の門で重要な櫓門です。1971年の復元。

Dsc_0654_00024この筒井門にも仕掛けがあります。ここから見ても見えないですが筒井門東続櫓の石垣の奥に回ると・・

Dsc_0663_00030なんともう一つ門が隠されてるではないですかっっっ!!

Dsc_0661_00029隠門と隠門続櫓。ちょっと大袈裟に驚いてみましたが中々面白い仕掛けですね。なんでも筒井門に殺到した敵兵をこの隠門からこっそりと出撃して敵の足背を急襲する為の門と云われております。現存の重要文化財です。

Dsc_0670_00031 裏から見た筒井門(右)と隠門(左)はこんな感じ。

Dsc_0679_00035筒井門を通ると待ってるのは櫓と土塀からの射撃ですね。

Dsc_0678_00034 太鼓櫓。多聞櫓に望楼を載せたような構造の櫓です。数枚上の写真にも出てきた櫓ですね。西方の石垣一段下と筒井門後方の腰曲輪を守る重要な櫓だと思われます見晴らしも良く名前の通り太鼓があったのでしょう。太鼓は戦闘時の合図でもありました。1972年復元。1973年復元

Dsc_0685_00037 太鼓櫓から太鼓門に続く塀。二十一カ所の狭間(さま)と2カ所の石落としを持ちます。殺(やる)気満々ですね。最後のこの腰曲輪が本丸南側の最後の守りです。本壇も一応ありますがね。

Dsc_0691_00040 巽櫓(たつみやぐら)。リフトを降りて最初に見えた櫓です。太鼓櫓と下の写真の太鼓門を通りこの巽櫓が最後の防衛線になります。ちょっと気で見づらいですね。1986年復元

Dsc_0687_00038 太鼓門。こちらは櫓門で太鼓櫓とセットの門です。この門を通れば天守のある本壇まですぐです。1973年復元

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