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2016年1月24日 (日)

宇和島城

伊予松山城に続いて宇和島城です。

愛媛県の西南にある宇和島にあるお城で現存の天守があります。私は2度目の登城です。伊予松山城と同じで6年ぶりになります。6年前も伊予松山城→宇和島城→大洲城と回ったので今回も同じコースになりました。

■宇和島城の概略

  • 平安時代の天慶四年(941年)に藤原純友が板島に砦を築いた事が始まりと云われてます。歴史がありますね。藤原純友と言えば承平天慶の乱の一つ藤原純友の乱は有名です(もう一つは平将門の乱ですね)。
  • その後、鎌倉時代の嘉禎二年(1236)西園寺公経により砦が築かれ丸串城と呼ばれていたそうです。

  • 戦国時代に入ってからは板島丸串城と呼ばれ家藤監物により大友や長宗我部の侵攻に耐えたとの記録があります。家藤氏って何者でしょうかね。ちょっと調べた程度では出てこないですね。伊予の国人でしょうか。
  • 天正三年(1575)再び西園寺氏が入り西園寺宣久が板島丸串城に入り家藤監物は道免城へ帰城したそうだ。
  • 天正十三年(1585)豊臣秀吉が四国に侵攻し伊予国は小早川隆景に与えられる。丸串城は隆景の家臣が城代に入る。
  • 天正十五年(1587)小早川隆景は筑前国に移封になり大洲城の戸田氏の家臣が城代として入る。
  • 文禄四年(1595)藤堂高虎が宇和島7万石で入城する。

  • 慶長元年(1596)藤堂氏により改修が始まる
  • 慶長六年(1601)改修が終わり宇和島城となるが関ヶ原の合戦により藤堂高虎は移封。
  • 慶長十三年(1608)富田信高が入城するが慶長十八年1613年改易。幕府の直轄地になる。

  • 慶長十九年(1614)伊達秀宗(政宗の長男)が宇和島藩10万石で入城

その後は明治になるまで伊達氏の支配地になります。幕末には大村益次郎を招いて蒸気船を建造したり中々先進的な藩でしたね。これは城とは関係ないですね。

宇和島城縄張り_1703

宇和島城縄張り_1854_1863

宇和島城は海上にあった板島に築かれたお城です。左は元禄時代の城絵図で右が幕末の安政文久頃の幕末の城絵図です。地形を見れば元禄の頃でも城の周りを埋め立てている感じですが幕末になると島だった形跡は殆ど無くなりますね。現在 は更に埋め立てが進み海にすら面しておりません。

宇和島城縄張り 築城の名手、藤堂高虎が縄張りをしました。五角形の形は不等辺五角形と呼ばれ「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形と錯覚され1方面に自由度が生まれるカラクリがあります。

Dsc_1038_00001 宇和島駅を降りると南国的な風景。久々の宇和島です。松山駅から始発で着ました。

Dsc_1039_00002

Dsc_1041_00003 城に向かって歩いてると天守が見えます。麓から見ても前日に登った伊予松山城天守よりはだいぶ大きく見える。標高は80m程度で伊予松山城は132mです。

Dsc_1045_00004_2 城山北登山口から登ります。登山口は家老桑折氏武家長屋門が移築されてます。

Dsc_1052_00008_2	三の丸石垣

三の丸は内堀で囲われた曲輪で1676年まで御殿があったとか。その後は側室の休息所に使われ幕末の文久3年(1863)には調練所になったそうです。現在は市街地に埋もれております。

Dsc_1054_00009 右に進めば比較的勾配は楽だけど天守までは遠い。左に進めば天守まで近いけど急な階段です。左を選びました。前回も左を進んだので右にすればよかったな。大洲城にも行く予定だったので急いでいたんですけどね。

Dsc_1055_00010 がんがん登ります。思ったよりキツイ・・息も上がります。
前回登城時も少しきつかった記憶があるけど今回もっとキツイ・・体力が落ちたのかと思ったけど考えてみたらそれだけではなかった事に気付く。前回より持ち物が大分増えていたんですよね。

Dsc_1056_00011前回は一眼レフカメラなんて持ってなかったからかなり軽装だった。今回はD750と24-120と70-300、50mm短焦点と三脚が今回の持ち物でした。山を登るなら持ち物を減らすべきだったと途中で気付く。

しかし鬱蒼とした中に残る石垣が良い感じです。

Dsc_1063_00012井戸丸

この辺りに井戸丸御門があったはずです。

Dsc_1065_00013 奥の石垣上に井戸丸櫓がありました。

Dsc_1066_00014 井戸があるから井戸丸なんだろうな。深さ11m

Dsc_1068_00016 井戸丸を過ぎて更に登る。当日は9月の終わりにしては蒸し暑い。藪蚊寄って来ます。

Dsc_1070_00017_2

Dsc_1073_00018

Dsc_1076_00019 この石段を登れば二の丸に到着。木も少なくなり明るくなります。

Dsc_1077_00020_2 振り返れば天守。宇和島駅に着いた頃は晴れてたけど雲が多くなってきたな・・。

Dsc_1084_00023 右の石垣上に櫛形門櫓、階段上に櫛形門、左の石垣上に北角櫓がありました。ここを登れば本丸です。

Dsc_1091_00028 宇和島城天守

ようやく辿り着きました独立式層塔型三層の現存の宇和島城天守です。藤堂氏の時代には望楼型の天守が建っていたそうですが伊達氏が入り寛文11年(1671)現在の天守が建てられました。

Dsc_1098_00029_2 岩盤上に建っているそうで、その岩盤に切石接の石垣を貼り天守台としているそうです。
何というかとてもシンプルな天守です。
午前中の撮影だけど見事に逆光だったな。あと本丸に着いたら雲が多くなっていて残念・・。撮影が目当てなら午後に行くのが無難かもしれない。

Dsc_1105_00031 石落しも狭間も無く平和な時代の天守だと言われていますが内部の連子窓下に火縄銃を掛ける様になっており銃撃戦はしっかりと考えられているとか。

Dsc_1111_00032 正面は三重目に軒唐破風だけどサイドは唐破風。

Dsc_1114_00033前回来たときも気になった後ろのツッカエ棒みたいな何か。ツッカエにしては細すぎるし何でしょうねこれ。

Dsc_1120_00034

Dsc_1122_00035 天守内部。障子戸が残る天守は宇和島城天守が唯一とか。

Dsc_1128_00036 二の丸から見た宇和島湾。良い複雑に入り組んだ良い眺め。

Dsc_1130_00037 本丸下の帯曲輪へ向かうのこの先か。見ての通り行けそうもない。

Dsc_1131_00038 雷門跡だったかな。急いで下ってたので覚えてない。

Dsc_1134_00039_2 現在は城山郷土館がある籐兵衛丸。長門丸に下ってから上り立ち門へ抜けるコースで帰ります。

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Dsc_1142_00043

Dsc_1143_00044 代衛門丸の石垣。苔むした感じが良いですよ。

Dsc_1150_00047 式部丸の石垣。

Dsc_1152_00048_2 整備計画の看板ですが鳥瞰図は解かり易いからのせておきます。

Dsc_1154_00049 石段を下れば・・

Dsc_1158_00050_2現存する上り立ち門で終わります。

午後は大洲城に行くのでかなり急いでの登城でした。全体を回りたいですがね。いつかゆっくり回りに来れたらいいなぁと思いつつ宇和島城登城は終わりました。

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