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2016年2月28日 (日)

大洲城

宇和島城を午前中に登城して午後に続いて大洲城です。

前回は2月の寒い雨の中の登城だったのと時間もあまり無かったので急いでの登城でした。今回もそこまで天気が良くなかったけれど雨は降らなかったので前回よりはマシでした。時間は今回もあまり無かったですが。いつかゆっくりと回ってみたいですね。

大洲城の概略 大洲城縄張り肱川の支流である久米川と肱川の合流点の地蔵ヶ嶽に築かれた平山城です。肱川の蛇行点を背にして本丸、二の丸、三の丸と曲輪を囲む典型的な悌郭式の縄張りです。西方は久米川と三の丸西の外堀、南西は高地、南東は三の丸東の外掘で囲った中々固そうな城です。

歴史

  • 元徳元年(1331)鎌倉時代の最末期に宇都宮氏の支族、宇都宮豊房が守護に任命され地蔵ヶ嶽(現大洲城)に地蔵ヶ嶽城を築城する。
  • 永禄十年(1576)毛利氏に侵攻により宇都宮豊綱は降伏。伊予宇都宮氏は滅亡する。
  • 天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国攻めで小早川隆景に攻められ河野氏の家臣、大野直之は敗北。小早川隆景は伊予35万石で入封し大洲城は支城になる。
  • 天正十五年(1587)戸田勝隆が大洲7万石で入封。
  • 文禄四年(1595)藤堂高虎が宇和島・大洲8万石で入封。大洲城が近世城郭に改修が始まる。
  • 慶長十四年(1609)脇坂安治が5万3500石で入封。天守等が造られる。
  • 元和三年(1617)加藤貞安が入り大洲藩として江戸時代が終わるまで加藤氏が領主として続く。

肱川越しの大洲城

肱川越しの大洲城肱川越しに見るのも良い眺めです。初めて来た時はバスでJR大洲駅から城に向かったんだけどバス内から見た肱川越に見えた天守の美しさに興奮しましたね。
写真は橋上から撮影ですが土手に下りても中々良い写真スポットだと思います。
前回は雨だったけど今回は曇りでした。15時から晴れるとの予報だったので待っていたけど中々晴れず・・。

とりあえず太陽様が顔を出さないので現存の大洲城三の丸南隅櫓を先に見に行きます。
場所は分かりにくいので貼っておきます。市街地に埋もれた大洲城なので街中にポツリと櫓が建ってます。

お殿様公園 お殿様公園の中に三の丸南隅櫓はありました。前回は2月の寒い雨と時間が無く見に来れなかったのですよ。

大洲城三の丸南隅櫓 三の丸南隅櫓

現存の櫓で重要文化財です。現在は埋められた三の丸東側の外堀の石垣上に建つ隅櫓ですよ。

三の丸南隅櫓入り口

三の丸南隅櫓内部 なんと!中に入る事も出来ちゃいます。場所が場所だけに(分かりにくい)来る人も少ない(自分が来た時は一人しか見に来てなかった)のでゆっくり見られます。

南隅櫓 現在は三の丸東側の堀は埋め立てられ小学校の校庭になってるので下りる事は出来ません。水が張ってあったとしても下りられないですがね。

大洲市内から天守 三の丸南隅櫓を見終わって次の目的地に向かいます。途中で見えた天守。

肱川 肱川河畔に出ました。肱川は初冬に霧が川を下る肱川おろし(あらし)が有名ですね。鮎やうなぎも名物でして今回は昼食に鰻を食べました。美味しかったですよ。

大洲城苧綿櫓 苧綿櫓

肱川河畔に現存する重要文化財の芋綿櫓(おわたやぐら)です。

因みに場所はここ。

大洲城苧綿櫓02苧綿は当然 オワタ┗(^o^ )┓三 \(^o^)/オワタって意味では当然ない。
「苧」とはカラムシの事で古来から植物繊維を採る為に栽培されてきた植物のことだそうです。虫みたいな名前だけど虫でもない。衣類や紙、漁網にまで使用され越後縮、小千谷縮の原材料でもあるそうです(Wikipedia参考)。「綿」はよく分からないけどカラムシの葉の裏は綿毛が密集しているからでしょうかね。

大洲城苧綿櫓03 天保十四年(1843)再建です。昭和34年(1959)の解体修理で洪水対策で石垣を2.6m高くしたそうです。

大洲城苧綿櫓古写真 櫓の前にあるパネルの石垣を盛る前の写真。確かに石垣が低いけど高くしてるだけじゃなく全部積み直してる様にも見える。

大洲城苧綿櫓04 石垣の上にも行けます。結構高いうえに柵も無いので上がるなら気をつけた方がよいですよ。櫓の近くに行けるけど入る事はできません。

大洲城石垣本丸南の腰曲輪下の石垣。大洲市役所の裏にあります。

大洲城下台所 下台所

現存の重要文化財です。食料庫だったとの話。天守、櫓、御殿以外の建物が残ってるのは珍しいですよね。彦根城の馬屋位しか思いつかないな。構造も床が上げてるのは風を通す仕組みなのだろうか。食料庫だからですかね。面白いです。

大洲城御殿跡

大洲城御殿跡 二の丸御殿跡

表御殿と奥御殿に別れていたそうです。写真は奥御殿跡。

大洲城石垣 何とも言えない石垣。打ち込み接ぎ乱積みでいいのかな。本丸の石垣です。

大洲城御門番長屋 御門番長屋

名前のとおりに門番が詰めていた長屋を絵図を元に再建したそうです。横には仕切りの門が付属していたそうだ。

大洲城玉櫓跡 玉櫓跡

Dsc_1272北の丸から見た天守です。ここは天守と従える櫓を見える良スポットですが残念ながらトイレがありましてね・・。この写真の中央下に見える屋根がトイレなんですよ。

大洲城天守北側から うむ・・どうしてもトイレが入るんですね。

大洲城天守北側から

大洲城天守井戸丸から02 本丸(井戸丸)に着くとようやく晴れてきました。左が天守で右が高欄櫓です。
良い眺めです。

大洲城天守井戸丸から03大洲城の本丸は天守がある段(上の段と呼ばさせて頂きます)と井戸がある下段(井戸丸)と二段になっております。右の石垣は暗り門跡。往時は櫓門があって井戸丸から本丸上の段への最後の関門でした。この眺めも良いですね。

大洲城天守 高欄櫓 台所櫓 本丸(上の段)まで辿り着きました右から台所櫓、天守、高欄櫓です。
台所櫓は現存の重要文化財、天守は木造復元、高欄櫓は現存の重要文化財です。
往時は本丸上の段を天守、台所櫓、高欄櫓、暗り門の櫓門で囲う連立式天守でした。

大洲城天守 台所櫓下見板張りの唐破風、千鳥破風、比翼千鳥破風で飾った四重の層塔型天守です。木造で復元し平成十六年(2004)に完成しました。復元の資金や木材の寄付が多かった様ですね。我町の天守!素晴らしい。

木造復元といえば白河小峰城 で平成三年(1991)に復元完成だから大分早い。どちらも建築基準法に適合しないので許可を取り付けるのに苦労したそうです。名古屋城天守の立替を木造で復元するなんて話も出てますが、あの巨大天守に許可は出るんですかね。
ぜひ木造で復元してほしいと思ってますが。

大洲城天守内部

大洲城天守内部02 天守内部です。新築な感じで綺麗ですね。

大洲城天守内部03 二階まで吹き抜けになってます。

大洲城模型

大洲城模型02

大洲城模型03高欄櫓内にある大洲城の模型です。ちょっとデフォルメされてる感じですが雰囲気は分かります。

Dsc_1333 久々の大洲城でした。もっと見たいところがありますが松山に戻りました。
やはり1日1城がゆっくり見られた良いですね。また見に来たいと思います。

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