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2016年8月27日 (土)

大阪旅行 その1 適塾

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大阪旅行に行ってきました。勿論メインは大阪城でしたがお城を見た後には道頓堀です。有名なグリコの看板を見ました。観光客でいっぱいです。自分もその一人ですが!!

大阪は地下鉄の切符を買う券売機から苦戦をしたりエスカレーターの乗り方の風習(左側を空け右に寄る)の違いを感じたり聞こえてくる言葉が全部関西弁だったり中国韓国人だらけ(東京も多いけど更に多い)だったり色々と新鮮でしたね。

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大阪に行ったら絶対に行きたいと思っていた適塾です。

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正式(?)には適々斎塾です。江戸時代末期にあった蘭学塾です。

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東の順天堂、西の適塾とまで言われた名高い塾でした。

順天堂は佐藤泰然が開いた上総(現在の千葉県)佐倉に在った蘭方医学の塾で現在の順天堂大学の前身です。

適塾は緒方洪庵が開いた蘭学の塾で現在の大阪大学医学部や慶應義塾大学の源流になるそうです。

Dsc_7887_00011 この方が適塾を開いた緒方洪庵さんです。
江戸後期の武士、医師で足守藩士です。足守藩は現在の岡山県にありました。
父が大阪に転勤になった為に大阪に移りそこで中天游(なか てんゆう)の塾に入り蘭方医学を学びました。

余談ですが中天游は有名な大槻玄沢の弟子で玄沢の塾である芝蘭堂出身です。更に大槻玄沢の弟子である稲村三伯や橋本宗吉に師事しました。大槻玄沢は解体新書で有名な前野良沢の弟子で解体新書の翻訳にも携わりました。稲村三伯は蘭和辞書のハルマ和解を著した事で有名ですね。

大阪で蘭学を学んだ緒方洪庵は江戸に出て坪井信道や宇田川玄真を師事、長崎に出てオランダ人医師のニーマンに医学を学んだりしました。

大阪に戻り瓦町に滴々斎塾を開くが手狭になり現在の位置に移りました。

Dsc_7874_00003 医者・医学者としては牛痘種痘法(天然痘の予防接種。洪庵も子供の頃天然痘を患ってる)を促進したりコレラが流行った時は予防や対策を広めたり医学の発展に努めました。

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教育者としては自由に学習させていた様で必ずしも蘭学を医学に限らせてはいなかったみたいですね。時世柄、兵学等を学ぶ塾生もいて自由だったそうです。

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後年、幕府の要請で奥医師兼西洋医学所頭取になり江戸に移ります。大出世ですね。
しかし喀血による窒息で文久三年(1863)54歳で亡くなりました。

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適塾の出身者は幕末・明治に活躍しました。
幕末・戊辰の戦争で活躍した長州の大村益次郎、慶應義塾大学創始者の福沢諭吉、幕府軍で活躍した大鳥慶介、福井藩の橋本佐内等々多彩な人材を輩出しました。
手塚治虫が曾孫な手塚良仙も適塾出身ですね。

Dsc_7882_00008 急な階段を登り

Dsc_7885_00010 女中部屋、ズーフ部屋を過ぎると塾生達が寄宿した部屋になります。一人一畳のスペースが与えられるそうで一冊ある和蘭辞書のズーフハルマを使い必死に勉強したんでしょうね。
有名なズーフハルマも展示されておりました。オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが著作した蘭和辞書です。パネルや展示品の撮影は出来ないので撮れなかったですがね。

行きたいと思っていた適塾に行けて感無量でした。
佐倉順天堂は佐倉に行ったときに見る予定だったけど休館で残念だったから再び行こうと思いましたよ。

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